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土曜日, 10月 24, 2020

私の人生に起きたアメージンググレース

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 日本で「キリスト教」と聞くと、日本人の大半は「それは外国の宗教、私の家は仏教ですから」と答えることでしょう。私もそのような考えを持っていました。そのような私がどのように救われたのかを証ししたいと思います。

 私の家は四人家族で、父と母は共働きでいつも忙しくしていました。落ちこぼれの私に比べ、妹は頭もよく、人柄もよくて皆から可愛いがられていました。よく妹と比較されて、いつしか妹に対して嫉妬するようになりました。愛情を両親は注いでくれていましたが、子供の頃はそれがわからず両親に反発していました。とくに母との確執がひどく、裏を返せば母に認めてもらいたくて反発していたのだと思います。そんな嫉妬や恨み、つらみを家族にぶつけていたので家庭の中はいつも暗く、そんな家に帰りたくなく、友達の家を転々するような荒れた生活をしてました。「こんな自分は生きている価値なんてない」「誰か私を愛してほしい」と、私の心は劣等感でいっぱいでした。

 そんな時、私に恋人ができました。もう夢中になりました。「この人と結婚できたら、わたしの人生は変わるかもしれない(!)この人だったら、私を愛してくれるかも…」。私は結婚に逃げたのです。しかし、そんな思いで結婚が上手くいくはずがありませんでした。しばらくして夫はアルコールをかなり飲むようになり、家に帰って来なくなる日が増えました。結局、その人と離婚することになり、そのストレスで更に傷ついた私は、安定剤や抗うつ剤を飲むようになりました。多量の安定剤を飲んでも、心にある不安や恐れがとれませんでした。パニック障害がひどくなり、外にも行けなくなり、私はとうとう鬱病になってしまいました。体重は30キロ台にまで落ち、生きている意味を見出せない日々を送っていました。

 そんな状態を知った友人が、私を教会へと誘ってくれました。友人はクリスチャンでした。不思議なことに、その友人のお母さんは私が通う病院の看護師さんで、同じくクリスチャンでした。二人が毎日のように私に連絡してくれて、「教会へ行こう」「イエスさまを信じたら人生が変わるよ!」と話すのです。私は、「キリスト教は外国の宗教だから、私には関係ない」と、いつも断っていました。でも、二人は根気よくイエス·キリストを伝えてくれました。興味を持てない私は、毎日かかってくる伝道が腹立たしくなりました。

 半年くらい経ったある日、友人から「もう教会の話はしないから、気分転換に遊びにおいでよ」と誘われました。ずっと引きこもっていた私は、人恋しくて「教会の話をしないなら友人に会いたいな」と思って家を訪ねることにしました。お菓子を買って、友人の家のインターホンを押した瞬間、友人と友人のお母さんが聖書を入れたバックを手に玄関から飛び出してきました。「教会に行くよ!」と、無理やりに車に乗せられました。

 今思うとなんてなんて強引な方法だろうと思いますが、そのおかげで私は生まれて初めて教会に足を踏み入れることになりました。(頑固な私には、それくらいの強引さが必要だったと思います。今はこの二人の行動に心から感謝しています。)教会につくと、十字架のすぐ前に座りました。友人は「神さまは、祈りを聞いて答えてくださるんだよ」と言います。私は疑う気持ちもありましたが、ここまで来たのだから祈ってみようと思いました。ただ一言、「神さま助けてください…」。その時、十字架から爽やかな風が吹いて来るのを感じました。パニック障害を患っていた私は、呼吸がいつも浅くて、こんなにも空気が通る呼吸は久しぶりだと感動しました。その瞬間、「ここには何かがあるのかもしれない。通ってみよう」という思いが与えられ、それから毎週礼拝に通うようになりました。傷ついた私の心に、聖書のみことばがどんどん入っていきました。

 ある日の礼拝で、マタイの福音書5章3節のみことばが語られました。「心の貧しい者は幸いです。」心の貧しい者とは自分の中には何もない、だから神さまにより頼む以外に生きて行く方法がない人のことだと聞き、「それは私のことだ!」と思いました。一生懸命幸せになりたい(!)と思ってきましたが、「自分の力では限界なんだ、神さまに立ち返らなければ、私は幸せになることができないんだ」と気づきました。

 教会に通いはじめて4カ月目に、私は、私を造られた神さまから離れて自己中心的に生活していた罪を悔い改めました。そして、イエスさまを私の救い主と信じ、洗礼を受けました。イエスキリストの十字架の赦しの恵みを頂くことができました。

 礼拝、祈祷会、早天祈祷会に参加し、毎日デボーションをし、毎日聖書を読みました。神さまの約束のみことばをにぎりしめて祈るうちに、小さな信仰でしたが、自分も神さまから愛され、赦されていることがわかりました。その愛を知った時から、毎日12錠も飲んでいた安定剤の量が少しずつ減り、数年後には薬がいらなくなりました。神さまの大きな愛と癒しによって、私は鬱病から完全に解放されました。また信仰生活を続けて行く中で、神さまからの召命を受けて献身に導かれ、神さまのために生きて行く決心をしました。

 洗礼を受けてから18年が経ちました。そのときから、私の人生は大きく変化しました。人生に失敗し、パニック障害や鬱病で絶望の中にいた私でしたが、希望の中を歩む者へと神さまが変えてくださいました。また、神さまの愛を伝えたいという同じ思いを持つ人との再婚へと導かれ、今では夫婦で主の働きをさせてもらっています。確執があった両親とも和解をし、両親と祖母が救われてクリスチャンとなり、信仰生活を送っています。神さまは私の壊れた人生を立て直してくださり、一つ一つ素晴らしい方向へとつくり変えてくださいました。この驚くべき恵みは、これからさらに続いていくものと信じています。

                               2020年8月 下田百子

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