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土曜日, 10月 24, 2020

創造の証拠―命の暗号

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 10年以上の前、生物進化に関する講演会に参加したときのことです。ある人が、こんな質問を講師に投げかけました。「もし、単細胞のようなものから徐々に進化して人間になったのなら、道徳心はいつどのように身につけたのでしょうか…。」
 なるほど…と、納得したことを覚えています。体の仕組みの複雑さに驚かされますが、人間の複雑な心も考えれば考えるほど不思議な現象です。知性や良心、愛を感じる心はどのようにして私たちに備えられのでしょうか。
 生物は、その生物特有の命の設計図(DNA)を持っています。一人の人間には、60兆個もの細胞があるといわれますが、その細胞一つ一つにその人固有のDNAが組み込まれているのです。インターネットでよく目にするIDのような固有な番号です。その驚くべき設計図は、どこから来たのでしょうか。いったい誰が設計したのでしょうか。そのどこかに、心の設計図も仕組まれているのでしょうか。

命(生命体)とは何か?
 さて命(いのち)とは、何でしょうか。人が生きるとは、どういうことなのでしょう。すべての命は、設計図(DNA)によって決定されているということが最近になってわかりました。人間の場合、両親の遺伝子を半分ずつもらい、その人の設計図が決定します。受精によってその設計図が完成すると、設計図通りに肌や髪の毛、目の色、身長や容貌などがお母さんのお腹の中で形造られていきます。母親の食べるものから必要な材料を取り出し、身体の各部分が形成されます。胎盤を通してに母から子に必要な栄養や臓器を作るための材料が届けられますが、母親の血と赤ちゃんの血が混じり合うことはありません。混じり合うと、流産してしまうのです。そのために、胎盤という臓器が備えられます。約十ヶ月間、母親の胎内で身体が仕組まれると、赤ちゃんは母親の身体から出て自分で肺呼吸を始めます。
 すべてが、緻密に計算し尽くされて一人の命がはじまります。この受精から出産までの過程は、奇跡としか言えないほど神秘の世界です。両親がすべてを計画したのでしょうか。いいえ、生殖行為と食事以外、両親は何も関与しません。では、いったい誰が命を仕組んだのでしょうか。

進化の証拠はあるのか?
 命はどのように始まったのでしょうか。昔から、多くの人が説明を試みて来ました。宇宙や地球、生命の起源を見た人はいません。(いたら、近づかないほうが安全です。)実験して再現できるようなものでもありません。いろいろと想像し、予想し、検討を繰り返してきたのです。そして、1859年にダーウィンが進化論を発表してから、それが科学的真理であると人々は考えるようになりました。しかし、ほんとうに進化は事実なのでしょうか。多くの科学者も進化論に疑問を提起し、否定する人も多くいるのです。(進化論は仮説に過ぎないと山中伸弥博士も認めています。)実は、進化の確実な証拠は何もないというのが事実なのです。なぜ、そういえるのでしょうか。
 まず、進化論は生命は物質から偶然誕生したという理論ですが、生命は自然発生しないというのが科学的法則なのです。命は命からしか、子どもは親からしか生まれない(当たり前でしょう)ことが証明されたということです。1861年に、パスツールという人が実験で証明しました。生命は物質から自然に発生することはあり得ないのです。
 次に、進化論ではアメーバのような単純な生物から複雑なものに進化して来たと説明します。「地質年代表」「進化系統樹」を学校で学んだと思いますが、それはそのことを教えるためです。でも、もしそれが事実だとしたら、変化する過程の生物化石や現在生きている生物の中にも中間的な段階の生物の痕跡が無数に発見されるはずではないでしょうか。
 たとえば蝙蝠(コウモリ)は、ネズミのような哺乳類が長い進化の過程で翼を持つに至ったと説明されています。だとしたら、その過程を示す中間生物の痕跡が無数に発見されるはずなのです。鳥は、恐竜が進化したと教えていますが、だとしたら中間の生き物の痕跡が無数に発見されるはずです。でも、実際はどうかというと、「コウモリの先祖に関しては、現在発見されている化石を見る限りにおいてすでに翼を持っているものばかりです」というのです。恐竜から鳥に進化したという痕跡は一つもありません。あるのは、想像図だけです。つまり、昔も今もコウモリはコウモリ、鳥は鳥なのです。
 つまり、種を超えて進化したことを示す確定的証拠(=中間段階の生物化石)は、今のところ一つも存在しないのです。いろいろな形態の犬や鳥がいます。そのバリエーションの豊かささは「種内での変異(小進化)」に過ぎません。犬はどこまでも犬であり、鳥はどこまでも鳥なのです。(1980年にシカゴで開かれた学術会議は、そのことを科学者たちが認めたものだといわれています)。聖書には、すべての植物と動物は「種類に従って造られた」と書いてあります。まさに現実の通りではないですか。
 1953年にDNAが発見されて人々を感動させましたが、実はそのことで進化論はますます不利な立場に追い込まれているのです。DNAはDNAからしか発生し得ないということが科学者たちの結論なのです(1993年のパハロ会議の結論)。
 証拠が見つからないのに、どうして科学的事実だと言えるのでしょうか。それは、そもそも科学の名に反するでしょう。だとしたら、なぜ人々は進化論を真理だと信じているのでしょうか。教科書に書いてあり、新聞やテレビで事実として伝え、親もそのように学んできたからです。それが正しい情報なのかどうか、自分で比較検証する機会も与えられないままに受け入れさせられているのです。

創造の証拠–命の(暗号)設計図
 では、創造された証拠はあるのでしょうか。聖書は、生命とそれを支えるための環境すべてが、創造主によって創造されたと主張しています。進化がほんとうなら、創造されたという主張は無視してよいでしょう。しかし進化が間違っているのなら、創造されたという理論が正しいことになります。
 生命が創造されたと主張できる最大の証拠はDNAです。つまり設計図(秩序と目的を持つ情報)があるということは設計者がいるということなのです。ミロのビーナスやシェイクスピアの小説を読んで、それはサルがコンピューターを触っていて偶然生まれたと考える人はいません。その情報が複雑であればあるほど、設計者の知能レベルは高いはずです。人間のような複雑な命を設計し、誕生させた方は、人間よりはるかに知恵と力も持つお方だという結論になります。
 人間の初めの命はアダムとイブから始まりました。人類が一人の男性と一人の女性から始まったということは科学者の間でも常識となっています。これは、聖書の説明(創世記1章と2章)を裏付けています。すべての人の設計図(DNA)は、アダムとイブから連綿と受け継がれてきたものです。民族の多様性や人間の個性は、先に説明した種内のバリエーションの豊かさの現れなのです。
 繰り返しますが、設計図(暗号)があるということは、それを設計して埋め込んだ人がいるということです。コップも車もコンピューターも自然にはできません。意味のある情報や暗号(芸術作品や精密機械など)は、その作者がいることを直感的に教えてくれます。

人間であることの意味
 はじめの疑問に戻って考えてみましょう。どうして人間だけが心(理性や感性、良心)を持ち、複雑な言葉を駆使し、夢と理想を描き、すばらしい機械を発明し、芸術を楽しんでいるのでしょうか。永遠を考え、真理に憧れ、善悪を判断し、愛することに喜びを覚えて生きています。これらの特別な機能は、なぜ人間だけに与えられたのでしょうか。身体の設計と同じく、そのように設計されたからだという結論に行き着くのです。その答えも聖書の書いてあります。人は、全能者の偉大な「かたち」に似せて創造されたのです。人間が特別な身体的能力や心の複雑な機能はそのことのゆえです。
 ただ、問題があります。すばらしい身体が病気にかかり、人間の心に悪や罪があるのはどうしてでしょうか。また、どうして人は死ぬのでしょうか。悪や罪、死は、はじめから設計されていたのでしょうか。次回は、そのことについて考えてみたいと思います。

創造の証拠―命の暗号
孫斉賢

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