17.9 C
Tokyo
土曜日, 10月 24, 2020

私たちの痛みはキリストの愛を形にする道具になります〜

Must read

単独行、むしろ恵みの時間

コロナ時代におけるみ言葉と黙想 ⑥    ...

「謙遜な悔い改めの時」 

コロナ時代におけるみ言葉と黙想⑤  2020年1...

告白します

私はいつも愛に飢えていました。 私が私のま...

度重なる失敗を通して

 私がどのようにしてイエスさまを信じ、イエスさま...

1.  自己紹介をお願いします。

 私は、福島県相馬市にある相馬キリスト福音教会と南相馬市の原町キリスト福音教会で教育主事として仕えているカン·デキョンと申します。今年の春から、二つの教会で兼任することになりました。私は献身者ですが、東京基督教大学大学院修士課程の2年生でもあります。神学校は来春卒業予定です。今年34歳で、独身です。

2.献身の証し

 私は、4歳の時に日本に移住して来ました。両親は離婚し、私と姉は父と一緒に暮らすようになったのですが、私と姉は心に傷を抱えながら、日本での生活に慣れようと必死でした。日本に来る前、母は私たち姉弟を知人の家に預けたまま、音信不通になってしまいました。実の母に捨てられたという傷だけでなく、私は父との関係もうまくいかず、自分は誰からも愛されていない、自分の居場所は何処にもないと思いながら幼少期を送るようになりました。  

 しかし、そんな私のために祖母はいつも祈ってくれていました。私の祖母はもともと熱心な仏教徒でしたが、私たちが日本に来て間もなく、知人に誘われて教会に通い始め、クリスチャンになったのです。祖母に伝道されて、私たち家族もイエス·キリストを救い主と信じることができました。                     

 私の家族が、神さまを体験的に知ったのは、私が小学6年生の時でした。というのは、そのとき生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたからでした。父が知人の保証人になったことで、その借金を肩代わりすることになり、私たちは貧しい生活を強いられるようになりました。食べるお米もない、家賃も払えない、そんな状況の中で、毎日暴力団からの脅迫電話や尾行に怯えながら生活していました。「神さま、助けてください。この状況から救って下されば、私はあなたのために働きます。」幼かった私はそう祈るしかない日々でした。神さまは私たちの想像をはるかに超えた形で支えて下さり、助け手を通して働いてくださいました。苦しかった状況は徐々に良くなっていきました。この経験は、私の信仰形成に多大な影響を与えたと思います。ただ、すぐに素晴らしいクリスチャンに変えられたかと言えば、決してそうではありませんでした。                     

 中学生になり、思春期を迎えた私は、韓国人としてのアイデンティティの葛藤や家族との関係におけるトラブルなどで自分のストレスを社会にぶつけ、非行少年として歩むようになりました。神さまの恵みを知ったにもかかわらず、自分の奥底に潜んでいた傷が、自分自身を蝕んでいくような感覚でした。私の心は頑なになり、教会でのメッセージにも耳をふさぐようになりました。私は周りの人々に迷惑をかける毎日を送り、ある事件によって鑑別所に収容されることになりました。3か月ほど社会から隔離された私のところに、ある日父が面会に訪れてくれました。父は涙を流しながら、聖書を差し出してくれました。その涙を目にした私は聖書を手に取り、自分の傷と家族、そして聖書のみことばと向き合うようになりました。神さまとの親密な時間を通して、イエスさまの愛が私の傷を癒してくれました。それまで断絶していた家族との関係が修復し、同時に神さまとの関係も回復していく時間でした。

 再出発することを誓った私は、出所してからの人生に期待を抱いていました。しかし、そんな私を待っていたのは、幼馴染の突然の事故死でした。あまりにも儚い人生について考えさせられました。何に望みを置き、これから何をすればよいのか、人生の目的について深く悩むようになりました。私が見つけた答えは、韓国の大学への受験でした。自分を知るためには、自分のルーツを知る必要があると思ったのです。                             

 無事大学に合格し、ソウルでの生活を満喫し始めた私は、軍隊にも行って少しずつ大人へと成長しているように感じました。母と再会して関係もよくなり、学生生活も順風満帆に感じられました。それまで味わうことができなかった、人生の楽しさに浸りました。それは、いわゆる世俗的な楽しみでした。それから、自分の姿を映し出す鏡を避けるようになってしまいました。鏡とは聖書であり、教会での礼拝であり、そして神さまでした。非行に走っていた時のように再び私の心は頑なになり、礼拝には行くものの、何も聞いていない状態でした。何も変わっていない自分の姿に失望をし、この世の快楽に走るという悪循環の中で彷徨っていました。

 卒業を間近に控え、就職のために一年間だけ日本に戻るつもりで、東京で就職活動を始めました。日本の実家から母教会が近かったこともあり、就職という大きな問題も抱えていたので、祈祷会に毎週参加して祈るようになりました。そんなある日、牧師が「過去に献身を誓ったことはないか?」と私に尋ねてきました。その牧師は祈りの中でそんな思いが与えられたと言うのです。私はとても不思議に思いました。なぜなら、かつて家が苦しかった時に、「この状況から救い出してくだされば、私は神さまのために働きます」と祈った事実を思い出したからです。それでも、私は何かの間違いだと思いました。昔と何も変わっていない私を、神さまが用いて下さるわけがないと、自分に言い聞かせていました。しかし、言葉にできない神さまの取り扱いを感じた私は、再び聖書を手に取りました。そして、一つのみことばが私の心に突き刺さったのです。ヘブル人への手紙3章15節のみことばでした。「『今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように』と言われているとおりです。」                          

 思い返せば、自分の痛みを言い訳にして思いのままに生きてきた自分がいました。神さまの恵みを忘れ、心を頑なにして、神さまの御声に耳をふさいでいた自分の姿がありました。向きを変えるように、幾度も取り扱ってくださっていたのに、神さまの愛を無視していた自分の姿がありました。まさに私自身こそ、荒野でのイスラエルの民そのものであったことを知ったのです。

 しかし、昔の私の小さな祈りを覚えておられた神さまは、こんなにも罪深くダメな私でさえ用いて下さるという事実を知ったのです。だとしたら、もう彷徨うこともない、献身しようと決意する信仰が与えられました。遠回りはしたけれども、遠回りをした分、私を諦めなかった神さまの愛の大きさを知ることができたのではないかと思っています。

 愛とは、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」という、ヨハネの福音書3章16節のみことばの通りです。私は自分が経験したこの愛によって神さまのために生きたい、そしてかつての私のように彷徨っている人々のために、この日本のために生きていきたいと決意しています。「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです」(第一ヨハネの手紙3章16節)

 私の兄弟とは日本です。日本のために、キリストがそうであったように、私もいのちを捨てるほどに愛したい、仕えていきたいと思っています。多くの痛みを抱えるこの日本で、少しでも神さまの愛を届けたいと思います。これが、私を献身まで導いてくださった神さまの愛と恵みについての証しです。

3. 好きな聖句と理由を聞かせてください

 証しにも書いたように、ヨハネの手紙第一3章16節のみことばです。「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです」

 相馬の教会に着任した日、私は度肝を抜かれました。というのも、礼拝堂の講壇にこのみことばが掛けられていたからです。私の召命と献身を確かにしてくださり、この場所に導いてくださった神さまのご計画を感じざるを得ませんでした。本当に感謝しています。

 イエスさまが十字架を通して私たちに示してくださったように、愛は目に見えるものです。ですから、私も神さまからいただいた愛を形にしていきたいと思っです。

4.好きな賛美は

 福島の地に来て以来、「慕いまつる主なるイエスよ」(Precious Lord, take my hand)という賛美をよく口ずさんでいます。教会福音讃美歌の「イエスよ愛の御手をのべて」という賛美です。イエスさまの愛の御手を感じる毎日を過ごしています

5.これからの計画や祈りの課題を教えてください。

 着任してまだ半年しか経ってしませんが、神学校を卒業する来年以降は本格的に伝道師としての働きが始まります。新型コロナウイルス感染の影響で、教会の働きにも制限が伴うことは否めません。そんななかですが、私は教会のビジョンのために祈っています。教会員が同じ方向を向いて、神さまがこの地域に望んでおられる働きを共に担っていきたいと祈っています。

 どうぞ、今後の宣教の働きのために祈りに覚えてくだされば幸いです。

- Advertisement -

More articles

- Advertisement -

人気記事ランキング

キリストの完璧な充満

キリストの完璧な充満川本 麻充  私は現在...

私の人生に起きたアメージンググレース

 日本で「キリスト教」と聞くと、日本人の大半は「...

「神さまがなさいました!」

金エノク 宣教師   主の御名を心から賛美...

度重なる失敗を通して

 私がどのようにしてイエスさまを信じ、イエスさま...

すべてを神さまに委ねて

すべてを神さまに委ねてハン・ガラム 今まで...