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土曜日, 10月 24, 2020

君が見た光を私にも見せておくれ

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  韓国の代表的な学者でイ・オリョンという人物がいる。「キリスト教信仰は文化的現象であり、それを信仰するということは迷信に他ならない。」と公言し続けた人である。 彼は、入閣後、長官を歴任し韓国社会における知性の象徴となった人物だ。 何一つ不自由のなかった彼だが、国際弁護士として出世コースをひた走っていた娘の不幸に直面し人生の転換期を迎えることになる。 孫の障がいによる娘の苦しみと、娘の視力喪失、さらには孫の死と娘の死、、、娘の不幸な人生を側で見ながら何もしてあげられない無力な自分自身に絶望したのだ。 彼は苦しみの中で祈っていた娘、死を目前にしても他者に仕えていた娘の姿を見ながら、「君が見た光を私にも見せておくれ」と泣いた。

神様

あなたに一束の花すら捧げたことがないので私を覚えていないでしょう。

しかし神様

すべての人が眠っている夜にあなたの低い息の音が私には聞こえます。

とても寂しい時、あなたの前にひざまずいて祈ることもあります。

神様

どうやってあの多くの星を造ったのですか。

はじめに海に魚を泳がせた時、あの銀色に輝く羽を鳥たちに与え、

その羽を広げた鳥たちが一斉に飛び上がる時、

神様も拍手をしたのですか。

ああ!神様

あなたが「光、あれ」と言われると、そこに光があったとは。

人は詩を書くために鈍い心を裂き濃い涙を流しています。

砂粒のような星でもかまいません。私にそれを造る力をください。

いいえ、空の星ではなく真っ暗な心の中の夜空に光る蛍の一筋の光で十分です。

もう少し近くに行ってもいいですか。

あなたの足の先を隠す神聖な裾に、

この汚れた手で少し触れてもいいですか。

それによってあの無知な人たちの心の中でオルガンのように

響く美しい一行の詩を書くことを許していただけますか。

神様

-ある無神論者の祈り- イ・オリョン

  この詩は彼がクリスチャンになる前に綴った詩である。神様を求める小さなこの歌が「ある無神論者の祈り2」では以下のように変わった。 「あなたを呼ぶ前は声も聞こえませんでした。あなたを呼ぶ前は姿も見えませんでした。しかし今は違います。うっすらと見え、遠くから聞こえます。」 彼は神様の声が聞こえ見え始めたのだ。これまで無神論者として生きてきた彼は73歳でイエスを信じた。彼は洗礼を受けた時「一人ばたばたと生きてきた自分が哀れだ。」と告白した。

  ある講義で自分の人生はイエスを信じる前まではすべてが順調だったと言ったそうだ。しかしイエスが自分の人生に登場してからは患難と苦しみと喪失が絶えなかったという。実際にそうだった。 しかし彼はその人生でイエスに出会ったと言った。それも事実だ。 むなしい欲望のために喉がかれるまで求め続け、それを恵みだと偽りそれを信仰だと信じ込む世の中に、彼は鋭い真理を突きつけた。  

  彼がイエスを信じたことで、殆どの読者は離れていき、非難と中傷の的になった。 しかし彼はそれでも大胆に神様を語り続けた。 彼は孫と娘を天に送った後、自身も癌を患った。 しかし今、彼の神様はさらに彼に近づいて来られ、もっと強く語りかけられる。 彼は言う。自分の信仰生活は今始まったのだと。

  人々は彼が神様を信じたのは娘の目が癒されたからだと言う。 しかし彼は否定して言う。神様に出会ったのは癒しという奇跡を通してではない。癒しと奇跡は確かに起こるが、それが信仰ではない。そこから神様と語り合うことで信仰が始まるのだと。

CBSIと英語 “Community Bible Study International”の略で
地域と様々な共同体を中心に行われる聖書の勉強サークルを意味です。

  私たちの教会では主日の夜にCBSIという聖書教材を使っている。全巻学ぶのに20年かかる教材だ。この教材はもともとは英語だった。韓国語に翻訳したのはソウル大学社会学科名誉教授のクォン・テファン長老だ。アルツハイマーを患いながら全巻を翻訳した。私が彼に出会ったのは、彼の家の書斎だった。不自由な手でキーボードを打ちながら新・旧約聖書の教材を翻訳していた。翻訳というのは読んで理解したという意味でもある。その作業が終わった時、彼は光の中にいるように平和に見えた。それは書き終えた喜びではなく、光に出会った喜びだった。

  彼の妻は、家を訪れる人たちに対して、「夫が退職後に体が不自由な中でも聖書教材の翻訳ができたことは本当に良かった。」と話していた。 その言葉を聞いた教授は、「自分の人生で一度も経験したことがない最も幸せで意味のあることをしているのだから、可哀想だとか暇つぶしができて良かったとか、そんなことは言わないでほしい。」と言った。 もともと彼は妻の信仰に倣っていた人だったが、神様のことばを翻訳する中で聖書にある光を見た。小さな部屋の中で不自由な手を使いながら神様のことばを翻訳していくうちに、光なる神様のことばと語り合うようになっていたのだ。

  私は誰かの恵みの話を伝えたくてこれを書いているのではない。誰かの神様ではなく私の神様を伝えるためだ。誰かの証の大きさに圧倒される必要はない。 神様の恵みは私たちにも溢れているが、私たちがそれを発見できずにいるだけだからだ。 神様の恵み、そしてその大きさは発見していくものだ。 発見すればそれだけ信仰告白は大きくなる。信仰告白が大きくなれば神様の愛と恵みの証もその分大きくなる。

  自分が直接出会った神様ほど大きい神様はいない。誰かの不治の病を癒す神様よりも、自分の指に刺さったトゲを抜いてくれる神様を私たちはもっとはっきり知ることができる。 神様を語るには、どこから語るべきだろうか。聖書をどれだけ知れば伝道ができるだろうか。誰かの神様ではない、自分の神様と出会おう。そしてその出会いを神様に語れば救われた者に相応しい信仰告白となる。またそれを誰かに話せば宣教となるのだ。

チョウ・ヨンギル 牧師

1973年釜山で生まれ、大学を卒業するまでの芸術学部で美術を学んだ。卒業後日本に渡って、高齢者、建築と環境デザインを学んだ。
学生活動でコスタジャパンに参加し、そこイエスを信じた。大地震があった年に、東京のキリスト教大学の神学部に編入して勉強した後、同大学院で勉強を続けた。韓国AMJ派遣宣教師であり、現在では、日本同盟基督教団所属加え愛の教会を担任している。

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