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土曜日, 10月 24, 2020

「偏見というウイルス」

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「偏見というウイルス」  洪 伊杓 (山梨英和大学 宗教主任・准教授)

  そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト·イエスにおいて一つだからです。(ガラテヤの信徒への手紙3章28節)

  春になると、満開の桜に包まれた日本の町や山をみると本当に美しいです。しかし、今年は同時に寂しさもありました。新型ウイルス事態のため、会いたかった学生や日本各地にいる友人と自由に会うことができなかったからです。

  ここで、私の心を慰めてくれる一枚の写真を紹介します。山梨に来る前に働いていた京都府宮津市にある日本キリスト教団丹後宮津教会で見つけた80年前の写真です。この写真は太平洋戦争が勃発したころに撮られたもので、人種や民族、国家間に嫌悪(ヘイト)が溢れ、互いを「ウイルス」のように扱った悲しい時代でした。当時の日本は英米人を悪魔のような撃滅の対象とし、植民地民をまさに「ウイルス」のように眺めていました。しかし、丹後宮津教会の牧師であった達常豊(たつ・つねとよ)先生は、朝鮮半島から日本に渡って来た人々に対して何の隔たりもなく温かく接しました。誰でも教会に来た人を心から歓迎しました。ある朝鮮の女性が「「私どもが礼拝に出席するために、日本人の方々が嫌がって出席しないのではないでしょうか。もしそうなら私たちの方で遠慮いたします」と心配すると、こう言いました。

「キリスト教においては国や人種の区別はありません。全て主にある者は兄弟姉妹ですから遠慮することはありません。もし、あなた方を嫌がるような間違った信者がいましたなら、その審判は主がなさる筈であります」

  そして彼らとともに桜の木の下で交流の時を過ごしました。それを見ていたある学校の先生が「自分には到底できないことだ」と伝えると、達牧師は即座に答えました。

「いや、キリスト者であるなら、私だけではなく、誰でも同じようにするでしょう。キリストに従う者は皆、兄弟姉妹ですから。」

写真① 達常豊『自叙伝-我が伝道の生涯』、1972年、p.43-44から引用

  コロナ・ウイルスによる非常事態によって、人々はウイルスを見ず、感染した人々をウイルスのように見始めます。韓国人は中国人を、日本人は韓国人を、欧米人はアジア人を嫌悪し、むしろ「憎悪と偏見のウイルス」がより拡散します。私が4月から赴任した130年前に建てられた山梨英和学院の「英和」という言葉について考えてみます。どのような意味を持つのでしょうか。英米と日本、さらに西洋と東洋が互いへの偏見や誤解を乗り越え、キリストの教えによって調和することです。
  コロナ・ウイルスによる非常事態はいつか必ず収まります。しかし、偏見や誤解、憎悪や差別のウイルスは人類史から消えたことがありません。困難なこの時期に、私たちキリスト者たちはコロナ・ウイルスはもちろん、より深刻な私たち人間の心に潜む「ヘイト・ウイルス」を退け、克服していく道を歩んで行くべきではないでしょうか。朝鮮の人々を温かく招いた達牧師の丹後宮津教会のように、外国人宣教師として日本のミッションスクールに招かれている私が、この大変な時期に皆さんにお伝えしたいメッセージとお願いです。

写真② 戦時下、朝鮮半島出身のキリスト者たちと交わる丹後宮津教会観桜会(後列右から二番目が達牧師)
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