17.9 C
Tokyo
土曜日, 10月 24, 2020

じっと考えよ

Must read

単独行、むしろ恵みの時間

コロナ時代におけるみ言葉と黙想 ⑥    ...

「謙遜な悔い改めの時」 

コロナ時代におけるみ言葉と黙想⑤  2020年1...

告白します

私はいつも愛に飢えていました。 私が私のま...

度重なる失敗を通して

 私がどのようにしてイエスさまを信じ、イエスさま...

じっと考えよ
孫齊賢

「これに耳を傾けよ。ヨブ。創造主の奇しいみわざを、じっと考えよ。」(ヨブ37:14)
「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。」(ダニエル10:12)

日本に遣わされるのですか
 2009年春、私が生まれ育った日本と永遠に別れるつもりで韓国に夫婦で向かった。しかし、病気になって3年後の2011年、治療のために日本に戻らなければならなくなった。日本に向う直前、東方地方で大地震が起こった。入院治療中、私はその悲惨なニュースを見ながら過ごすことになった。私も、日本も、絶望が覆っていた。
「日本に帰るなら、宣教師として帰ろう。」ふと、そんな思いが起こった。日本に向かうことになり、ある宣教会にダメもとで申請してみた。すると、私を協力宣教師として派遣してくれることになった。私の心は失望で真っ暗だったが、かろうじて慰められた気持ちだった。なぜ宣教師として帰ろうと思ったのだろうか。何を考えていたのか、今から思うと心もとない。病気になった意味がわからずに打ちのめされていた。将来は見えなかったが、きっと何か意味があると思い込もうとしていたのだろう。
 ひょっとして、私はヨナのように日本宣教に連れ戻されたのかもしれない。そんなことを考えるようになった。主の計画は日本だったということか。だとしたら、韓国での生活にはどんな意味があったのだろうか。結局、私は韓国から派遣された宣教師という資格で、四日市の教会で働きを始めることになった。献身することは、はるか昔に約束していた。できれば四日市の堀越暢治牧師のところで学びたいと願ったこともあった。まさに、その通りに実現していた。「主よ。あなたは私を、ほんとうに日本宣教に遣わされたのですか…」。そのことを「じっと考えよ」と言われたような気がした。

日本の救いを願って
 間違いなく、主は願っておられる。みことばに、すべての人々が救われることを願っていると書いてあるから。ただ、救いということと、リバイバルとは違うのかも知れない。日本を、終わりの時代の宣教のために大きく用いようとされているのか、あるいは一人でも救おうという意図かはわからないのだ。韓国や中国のようなリバイバルを、日本に期待してはおられないのかも知れない。
日本でリバイバルを叫んで虚しさを覚えるのは、私の不信仰のせいだろう。そのようなことが日本では起こり得ないとは誰も断言できない。主は、どんなことでもすることができるのだから。あのヨナの時代のニネベのように、偉大なるリバイバルを、日本でなすことが出来るのだ。しかし、私たちの願いと、主の計画は違っているのかも知れない。そのことを「じっと考えてみよ」と言われているのかも知れない。

韓国人宣教師たちのこと
 日本の宣教、教会形成に、韓国人宣教師はどのような貢献を果たしているだろうか。1500名いるといわれる韓国人宣教師が、日本でどのように働き、苦闘し、過ごしているのだろう。
 間違いなく、それぞれの場所で必死になって宣教の責任を担っている。しかし、マスコミでとりあげられている韓国人宣教師の話は否定的なものばかりだ。日本人の宗教嫌い、嫌韓ムードに油を注ぐ結果になった。成功したと言われていた韓国人宣教師たちは、いったい、どうして同じような問題を繰り返すのだろうか。
 そのような評判の一方で、見過ごしてほしくない事実がある。ある韓国人宣教師は、「説教は日本語でしかできない」と話していた。会話は韓国語が便利だけれど、説教は日本語でしか伝えられないと…。聞いていても、99%ほぼ完璧な日本語だった。今尚、日本語の間違いを教会員から指摘され続けていると笑っていた。彼は、日本の硬いイメージの教団で認められ、評価されているという噂を聞いた。日本の神学校で学び、日本の牧師に仕えながら学んだらしい。「韓国に行く機会があっても、メッセージに招かれることもありません。もう、韓国に帰りたいとは思わないし、帰ってもついて行けないと思います。」と話していた。確か、重度の知的障害児のお子さんを抱えていると聞いた気がする。
 言いたいことは、日本のために犠牲的に仕えている宣教師たちの方が圧倒的に多いということだ。とても純粋で、主の愛に満たされた宣教師たちと多く出会った。彼らは日本の牧師たち、信徒たちに信頼されながら、日本と韓国の友情の架け橋としてりっぱに活躍している。一方、韓国で毎週集まり、日本宣教のため、宣教師のために祈っている人々がいる。そのことを思うたびに、胸が熱くなるのだ。
クリスチャンは「世の光」だとイエスさまは言われた。でも、日本での働き人に求められるのは「地の塩」の働きだ。日本はそのような性質の宣教地だ。その役割を、宣教師たちは目立たないところで、言葉ではなく行いで、立派に、力いっぱい担っている。

へりくだること
 ダニエル書に次のようなみことばがある。「彼(ダニエル)がへりくだることを決心したときから、彼の祈りは聞かれていた。」主からの応答は、遅れるかも知れない。私たちには、いったい何がどうなっているのか知る由もない。しかし、主の人が「へりくだることを決心」したとき、天では確かに動きが起こっていた。
 日本の宣教師たちに必要なことは、一にも二にも「へりくだり」なのだ。そのことに耐えられるか、覚悟しているか、「じっと、考えよ」と言われている。
 主に自らをささげた人たちは、生涯の最期において満足でいっぱいだったに違いない。普通の人間には知り得ない、かけがえのない幸福感を手に入れたのだ。私たちの目標も、まさにその最高の満足感だ。
 創造主を第一とする一人の人を通して、主は偉大なことをされてきた。今も、これからもそうされるのだ。宣教師たちは、誰もがその一人の人になりたいと願っていると信じたい。だとしたら、へりくだって、耐えに耐え、忍ぶ通すことができるか…。「じっと考えてみよ」と、主は私たちに語っておられるのだ。

- Advertisement -

More articles

- Advertisement -

人気記事ランキング

キリストの完璧な充満

キリストの完璧な充満川本 麻充  私は現在...

私の人生に起きたアメージンググレース

 日本で「キリスト教」と聞くと、日本人の大半は「...

「神さまがなさいました!」

金エノク 宣教師   主の御名を心から賛美...

度重なる失敗を通して

 私がどのようにしてイエスさまを信じ、イエスさま...

すべてを神さまに委ねて

すべてを神さまに委ねてハン・ガラム 今まで...