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土曜日, 10月 24, 2020

「恵みとしての奉仕と実践」

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「恵みとしての奉仕と実践」  

山梨英和大学 宗教主任 洪 伊杓

  彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。(コリントの信徒への手紙二 8章2節)

  20世紀初頭、シュヴァイツァー、ガンジーとともに現存する世界三大セイント(聖人)と呼ばれた賀川豊彦牧師という方がいました。彼は、神戸の貧民村に入って貧しい人々を救済しました。貧民村の最も大きな問題の一つは伝染病でした。肺結核、肺炎、コレラ、腸チフス、ジフテリアのような伝染病は、その村で周期的に発生しました。賀川牧師は自らの経験を描いた小説で「ペストの時でもそうであるが、すべての伝染病の時にそうである」(『太陽を射るもの』353頁)と、伝染病は時代を超えて貧しい人々に、より致命的で、経済的な問題でもあることを強調しました。今、21世紀の新型コロナ・ウィルスも同じです。初めは保健医療の問題に絞られますが、今は経済的な苦しさも大きく懸念されています。多数の人々と毎日接触しなければならない低所得の労働者、会社の経営が苦しくなり給料が減り失職する人々、感染予防と治療においても経済的な困難のため見逃されてしまう隣人たち。

1923年、関東大震災の時に保護者と家を失った子供たちを守っている賀川豊彦牧師。(右側の男性が賀川豊彦)

  賀川牧師は、そんな彼らの経済的な安定を図るために、生協や労働組合運動などを展開した方です。当時、賀川牧師も肺結核などの伝染病で苦労しました。日本全国いや全世界を舞台として活躍した彼の痕跡はどこでも見つけることができます。私が4月から赴任した山梨の地にも、彼は1922年に滞在した歴史があります。山梨県吉田町の泉田精一牧師宅(現、日本基督教団富士吉田教会)に療養のため訪れた賀川は、河口湖や富士山を眺めながら講演活動を行いました。その時に蒔いた種が実を結んだのでしょうか。数年前、「賀川事業団雲柱社」から山梨県南アルプス市の認定NPO法人「フードバンク山梨」が「賀川豊彦賞」の第2回受賞団体として選定されました。(『神戸新聞』2017年11月2日)この団体は、「未使用のまま廃棄される食品を経済的に恵まれない人々に、手書きの手紙を添えて届けるこまやかな支援活動など」をボランティアや食品会社、行政や学校とともに展開して来ました。経済的困難が拡がる最近、このような活動は大きな慰めになります。これに対する暖かい関心と応援は、非常事態だからこそ私たちにより求められるのではないでしょうか。

  今日の聖書のみ言葉は、マケドニアの諸共同体に宛てた使徒パウロの証言です。苦しみと試練、特に経済的な患難の中でも、マケドニアの信者たちは喜びを失わず、互いを助けました。パウロは4節で、彼らは「聖なる者たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、しきりに私たちに願い出たのでした」と付け加えました。貧しい隣人は「聖なる者たち」であり、彼らを助けることは「恵み」であると語っています。私たちもキリストに従ったマケドニアの人々のように、この厳しい時期にも互いを慰め、施しながら過ごしたいと思います。

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