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日曜日, 2月 28, 2021

天のお父さまの肩車

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広崎 仁一

父の思い出

 私が信仰に導かれるきっかけとなったキーワードは「父」です。私の生い立ちが絡んでおりますので、はじめに、このことについて少し触れさせていただきます。
 私は昭和27年、兵庫県淡路島で農家の長男として生まれました。私の父は広崎家の長男として大正12年に生まれました。父は田舎生まれの人間でしたが、視野が広くて上昇志向も強く、同世代の人々が経験出来ないような人生を歩みました。
 父は私が1歳の時(昭和28年)、農業技術の研修のために約1年間アメリカに行く機会を得ました。その経験が買われ、昭和33年から2年間(私が6、7歳の時)政府からの要請を受けて、東パキスタン(今のバングラデシュ)に稲作の技術指導のため派遣されました。昭和37年からの5年間(私が小学校5年から高校1年)はインド、昭和49年からの3年間はフィリピンへ、合計11年間外国での生活を送りました。
 「父の後ろ姿を見て子は育つ」と言いますが、私は父の後ろ姿をあまり見ないで育ちました。小さい頃、父に遊んでもらったりスキンシップを交わした記憶がほとんどありません。アメリカとパキスタンへは単身での赴任でしたが、インドへは農場長として赴任するため、母の同伴が必須条件となりました。両親も悩んだ末、結局私たちを祖父母に預けてインドに出かけました(私が5年生、妹が保育園児の時です)。
 まわりの人たちは「お父さんは偉い人やなあ」と口々に言いますが、その頃の私にとっては、子供より仕事を優先して母を奪って行く父親のイメージしかありませんでした。10歳からの5年間は、寂しさとの戦い、欲求不満との戦いの連続でした。やり場のない寂しさや欲求不満を妹にぶつけ、暴力を振るったことも少なくありませんでした。ある時、包丁をもって伯母に立ち向かったこともありました。あの時、本当に切り付けていたら、少年院送りになっていたかも知れません。

心の傷

 中学2年生の頃、私にとって忘れられない出来事がありました。授業中、先生が何気なく次のように言ったのです。
 「小さい時に父親を亡くした子、または父親と一緒に過ごした経験が少ない男の子は、成長して大きくなっても、男として何かもの足りない所が見られる…」と。
 さらっと言われた言葉が心にグサッと来ました。まさしく自分のことだと思いました。「自分は大きくなってもどこかに欠陥を持った人間であり、ノーマルな成長が出来ない」というメッセージとして聞こえました。血の気が引き、心臓がドキドキ鳴ったことを今でもはっきりと覚えています。自分は決定的に取り返しのつかないハンディキャップを負ってしまった、父親と一緒に生活していれば受けることが出来たであろう大切なものを受け損なったという思いに囚われ、強烈な劣等感を持つようになりました。
 「自分には何かが足りない。」そんなおどおどした気持ちを抱きながら、「受け損なった父性部分の取り戻し、穴埋め」をどうすれば良いのかという悩みで一杯でした。

あるクリスチャンとの出会い

 両親のインドへの赴任は、当初は3年間の予定でした。それが2年伸び、結局5年間になりました。高校に合格しましたが(この時点で両親はまだインドにいました)、バス通学で一時間以上かかることやこれ以上祖父母に迷惑をかけたくないという気持ち、そして周りからの勧めもあって洲本市内に下塾をするようになりました。その下宿のおばさんが、クリスチャンだったのです。そのおばさんに誘われるまま、教会に通うようになりました。その年の夏になってインドから両親が帰って来ました。けれども、高校3年間は下宿生活を続けました。ですから、両親とは小学校5年生以来今日まで、離れて暮らすことになりました。
 その教会には私しか若者はいませんでしたが、日曜日には教会に通い続けていました。メッセージは初めのうちはよく分からず、厳しいと思う面がたくさんありました。でも、自分が聖書でいう“罪人”であることだけは、だんだん分かりはじめていきました。キリストの十字架の意味もおぼろげに分かってきて、過去に犯した罪を赦されたいという思いも湧いて来ました。

信仰の決心

 ある年明けの1月14、15日に、洲本の教会に大村裕康先生をお迎えして、特別集会が開かれました。この日のメッセージはとても新鮮でした。グイグイ心の中に入って来ました。メッセージの後、先生が個人的にお話して下さいました。この時ハッと気づいたことがありました。それは、私たちの神さまは“天のお父さまだ!”ということです。父なる神さまは全知全能で、この神さまを信じるとハンディキャップとなっている“父性部分の取り戻し”が実現出来るのではないかという確信が心に湧いて来たのです。
 キリストの十字架で罪が赦されることもはっきり示され、その晩信仰の決心をしました。講師の先生から、ヨハネの福音書15:16の御言葉をいただきました。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」
 この御言葉にも驚きました。「わたしがあなたがたを選んだ!」と、はじめに神さまのご意志があったというのです。自分は悲劇の運命のヒーローではなく、最初から神の愛の対象だったのです。
 入信の体験を通して、摂理の中で導かれる神さまを崇めることが出来ました。両親がインドにいた期間が3年ではなく5年に延びたこと。そのことで下宿をするようになり、クリスチャンと出会い教会に通うようになったこと。自分の心の傷が、天の父なる神さまを信じるきっかけになったこと。すべてが、神さまが描かれた心憎いシナリオであったのです。

父の再発見

 1998年から99年にかけて、まだ開かれていなかった私の霊的な目を開くために、主は関連性を持った様々な出来事、出会い、学びの時を用意していて下さいました。
 98年の夏、父が周りの方々に勧められて、75歳になることを機に自分史を書いていると聞きました。夏休みに田舎に帰った時、父の原稿を読む機会を得て、父を再発見することができました。小さい頃から外国に行き、小学校5年生からはずっと離れて暮らしていたため、知らないことが多くありました。自分もかつて父がインドで活躍していた年代になり、男にとって仕事とはどういうものであるかということを考えながら、父に対する新たな理解と尊敬の念が湧いてきました。これは、私にとって嬉しい発見でした。今までとは違った視点から父を見ている自分がいたのです。あの時(自分が小さかった時)は、父もそうするしかなかったのだという思いになり、気持ちの上で納得が出来ました。父を理解し、赦すことが出来たのです。
 『我人生の歩みを振り返って』という父の自分史のタイトルは、私が名付けました。原稿の見直しや修正、文字入力、編集の手伝いと、98年の夏休みはこれらの作業で忙殺されました。母や私の家内も手伝いに加わり、家族一体で作りあげ、“ファミリー”を実感する一大イベントになりました。本が出来上がり、父が嬉し涙を流しているということを母から聞いた時、「少しは親孝行が出来たかな」という満足感を覚えました。尊敬出来る父親を再発見する機会になりました。けれども、まだ親しみを持てる、自分を愛してくれる父の発見には至ってはいませんでした。

心の傷のいやし

 ある日一人で祈っていた時、私の心にマタイの福音書11:28-29のみことばが響いてきました。
「全て疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」
 その時、不思議なイメージが表れて来ました。イエスさまが私の肩に手を回して、一緒に歩んでくれているイメージでした。神のひとり子なるイエスさまが私の肩に手を回してくれていました。でも、天の父は私にどう関わって下さるのだろうかと祈りながら考えていました。祈りの中で、父なる神を探していたのです。その時、自分の体がグワーッと持ち上がるような感覚、私の視点がグーッと高くなって行く感覚を覚えました。ちょうど、外の景色が見えるエレベーターに乗っている様な感覚でした。その時、私は天の父に肩車されていたのです。その瞬間、私の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちました。
 私は、過去のある出来事を思い出しました。父はほとんどかまってくれたことがない、スキンシップはほとんどなかったと思い込んでいたのですが、父に肩車をしてもらって嬉しくて、得意満面になっていた自分の姿が意識の下から甦ったのです。
 私には娘と息子がいます。私は、二人をよく肩車をして遊ばせました。父親である私は、子供が落ちないように両手でギュッと彼らの足をつかんでいました。同じように父もそうしてくれたのだと想像すると、私も父に愛されたのだという思いが込み上げて来て、温かいぬくもりを感じることができました。尊敬できるようになっていた父でしたが、その時、はじめて父に親しみを感じることが出来ました。 
 また、父なる神さまに対しても、私をしっかり捕まえて、いつも肩車してくれる親しい神さまのイメージが湧いてきました。私の「フットプリント」は、天の父の肩車だったのです。
 中学生の時からずっと感じていた、“受け損なった父性部分の穴埋め”を求めて来た自分がありました。それが私にとっての重荷でしたが、やっと探していたものを見出し、言い知れない平安を感じました。三位一体の神に招かれているという信仰と、豊かに注がれている神の愛が私の心をいやしたのです。
 「神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは国々に向かって手を上げ、わたしの旗を国々の民に向かって揚げる。彼らは、あなたの息子たちをふところに抱いて来、あなたの娘たちは肩に負われて来る。」(イザヤ書49:22)

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